心に届くFESフラワーエッセンス

沖縄在住のキャリアコンサルタントです。自身がストレスに見舞われたときに助けられたことからフラワーエッセンスの普及活動を行っています。各記事は別ブログからインポートしてきたのでお見苦しい点があります。随時、編集していきます。

30年後に受け取った対価

こんにちは。
今日はアメリカ在住の私の叔母について書きたいと思います。

 

身内の話ではありますが、
キャリアコンサルタントでもある私は
「仕事の定義」について考えるとき、
この叔母の半生によく思いを巡らせるのです。

 

● 30年後に受け取った対価とは 

 

叔母はちょうど沖縄が本土に復帰をした年、 1972年に米兵と結婚。
結婚式を沖縄で済ませた後、すぐに渡米しました。

 

その後、三人の子供に恵まれたのですが、
長女は重いハンディキャップを背負って生まれてきました。
それから叔母の介護の日々が始まります。

 

叔母はアメリカに行ったら、 運転免許を取って仕事を見つける予定だったそう。
でも、それは無理な話でした。

 

長女は自分の足で歩くどころか、 立つことすら出来なかったからです。

 

そして叔母にとって長い介護の日々が流れていくのです。

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三人の子供のうち、長男と次女は高校卒業後、家から独立。


いつも自分の面倒を見てくれていたと思う長女も、
「いつかは家を出て、 自分の働いたお金でヘルパーを雇わなくては」
とよく私に話していました。

 

そんな彼女がある日、病院の入院仲間と恋に落ち、
あっという間に結婚♪

 

長女の結婚によって、 叔母は約30年にわたる介護の日々から開放されるのです。
そして、これから夫婦水入らずで楽しもうと思っていた叔母。

でも、彼女を待っていたのは、夫の介護
その時、すでに彼は脳腫瘍に侵されていたのです。

 

二年後、家の住人は叔母だけになりました。

 

しかし、もともと陽気でタフな、うちなーんちゅ(=沖縄県民)。
一人しんみり過ごすというチョイスはなかったようです。


運転免許も取り、行動範囲も増えた叔母には、
「自分が社会に対して出来ることはないだろうか」
という気持ちが芽生え、
「介護だったら経験もあるし・・・」 とひらめき、
看護の専門学校に通います。

 

 

その後、人材会社に登録をすると、
ほどなく個人介護の仕事を紹介されました。

 

そして、その相手が何と自分の娘だったのです。

詳しい話は聞いていないので私もはっきりはわかりませんが、
おそらく小さなコミュニティの中での話なので、
人材会社も叔母と叔母の娘のことを知っていたのでしょう。
だから、紹介したのかもしれません。


そして今、叔母はこれまで同様、
自分の娘の車椅子を押し、
抱き抱えてトイレに連れて行き、
入浴を介助するのです。



ただ、それまでと違うことは、
叔母が娘のために行っていたことが、
「労働」となり、 そのことで、
ちゃんと「給料」を貰っているということです。

 

 

対価というものは、
すぐに返ってこないかもしれないけれど、
確実に届くものですね。 

 

私にとってこの叔母の話は
なんだかとても心が温まるものでした。